りげんどうの日々

解体

解体、撤去作業大詰め

2011年5月20日

職人さんの朝はとても早いです。
10時近くには、ひと仕事終わって、休憩です。

連日の、解体、撤去作業、お疲れ様です。

まずはこの和室から、取りかかります。

渡部さんの目に留まったのは、こちら。 いいね~!ということで、

「生かすこと」

もうひとつ、「生かすこと」。

そして、いつの間にか、部屋がきれいになっています。

畳をはいでみます。

畳には、運びやすいように、このように持ち手がついているそうです。

そして、床の釘を抜いて、

測って。

使われている釘は、洋釘だそうです。
尺、寸、間が飛び交う中、いきなり、インチ、フィートが登場します。
建築現場で、センチ、メートルが出てくることはほとんどありません。

いろいろ教えていただいています。

めくって、床下を見て、荊尾さんと渡部さんが相談をされています。

そして、すぐに荊尾さんは持ち場へ戻られ、

今まであった壁が、

いつの間にかなくなっていました。

渡部さんのメモを覗かしていただきます。

電気の配線を切っても大丈夫ですか?と聞いたら、

元が切ってありました。

天井は、この状態で残されるようです。

どのような照明がつくのでしょう。

屋根裏の状態も見せていただきます。先ほどの天井の裏になります。

木摺漆喰の壁があった所を見ます。木が突き出ていなくて、平です。

掃除をする川上さん。

山本さんもお掃除。 誰もが皆、仕事を先読みして動かれています。

先程剥いだ畳も、いつの間にか外へ持ち出されていました。

剥いだ壁などはまとめて廃棄します。

 

外でトラックもスタンバイ。

次は、階段の横の部分。

上部の壁も同じように剥いで、

天窓の横の天井に穴を開けた瞬間に、

「逃げろ!」と指示があります。 この埃を吸うと、風邪をひくそうです。

ということで、重装備のマスクが登場します。

壁を壊して、

剥いでいきます。

そして、あっという間に、

きれいになります。

テラス近くの床も剥いで見ます。

軒下の状態を見たら、そのあと、

裏の釘をカナヅチで倒して、

もう一度蓋をします。

山本さんの歩かれた後には、ゴミがありません。

スッキリ。

廃棄するものも美しくまとめてあります。 ゴミの捨て方にも、職人さんの美学、再び。

トイレの撤去と、美しい荷積み

2011年5月6日

連日、撤去作業が急ピッチで行われています。

随所に走っている電気の配線を、撤去していきます。

天井や、

あちらこちらに。

剥いだ壁は、どうなるのかといいますと、袋に詰めて、まとめて廃棄処分します。

お掃除しながら、撤去作業は同時進行で行われますので、
床は常にきれいです。
入口付近にあるトイレの撤去作業へ。

屋根を取り除いていきます。

助け合いながらの作業です。

壁も撤去。断熱材が入っています。

廃材は、トラックに隙間なく積まれていきます。

お一人で、トラックに積んでいらっしゃいます。

積み方にも、美学や、経験が垣間見られます。無駄のないように。

日々楽しみなのは、3時の休憩。ご近所のおもちやさんから、豆大福などを調達してきました。

新しく、板金を担当される職人さんがお越しになりました。 日々、皆さまのネットワークで、いろいろな職人さんがいらっしゃいます。

こちらの貴重な断熱材も、そのネットワークで仕入れたものだそうです。

引き続き、トイレの撤去作業。
 

アイディアを出しながらの作業が進んでいます。 ハンマーで下から叩いてみたり。

いろいろな方法を模索しながら、
 

解体は進みます。

きれいになくなりました。

不思議な光景。

 

お掃除しながらの撤去作業で、こんなにきれいに。

次の日に、仕事にすぐ取り掛かれる環境にしてから、
一日が終わります。

木摺漆喰の壁 撤去

2011年5月4日

本日は、一階部分を真っ二つに分けていた、壁を撤去します。
後ろ側から見ると漆喰が木の隙間に入り込んで、
壁が止まるようになっています。
この工法を、木摺漆喰というそうです。

 

 

まずは、漆喰の部分をバールで剥いでいきます。

あたり一面、白い粉が舞い上がり、頭髪が真っ白になりそうです。マスクは必需品。

木を撤去します。

残っていた、上の部分の漆喰を同じように取り除いていらっしゃると思ったら、

同時に、木を、手で撤去されていました。力持ちです!

骨組みの部分は、のこぎりを使って。

残った柱をよく見ると、中が朽ちています。

天井部分を

剥いでみます。

最後に残った柱を撤去して、

すっきりしました。

 

昨日、廃材をトラックで持ち帰っていただきましたが、
「これだけあれば、10日以上はお風呂が焚けそう。」と、皆さんで。
感覚値が同じところが、
連帯感が生まれる、一つの所以のような気がします。